いつもコラムをご覧の“あなた”。本当にありがとうございます。
初めてたどり着いた“あなた”、はじめまして。ぼくこと“ぼく”です。よろしくお願いいたします。
ぼく個人としては、比較的まじめなことをまじめな文体で書いているこのコラムですが、今回は少し違います。いえ、ボケませんよ。今回は特に堅いことを書こうと思っています。
「職業に貴賤なし」。皆さん、この言葉を聞いたことはありますか?
誕生は江戸時代!?流行や情勢に左右されない名言!
“貴”は尊いもの、格調の高いもの。“賤”は「いやしい」とも読み、身分が低い人を指す言葉。これを現代語に直すと、職業に“えらい”も“えらくない”もないんだよ、という感じでしょうか。要するに、デスクワークだろうがサービス業だろうが肉体労働だろうが格上・格下ということはない。そういう意味です。
人気とは別ですよ。たとえば、この言葉が生まれたのは江戸時代らしいのですが、その頃にも人気の職業というものはありましたから。
少し余談。江戸時代の人気職業は?
ぼくが知っている範囲で大人気だったのは、大工と髪結い。あ、髪結いは現代の美容師・理容師です。あと、今の芸能人にあたる歌舞伎役者と、スポーツ選手にあたる相撲取り。この2つも、うまくいけば相当儲かる人気商売でした。千両役者とか十両なんて言葉が現代に残っていることからも、想像はできますね。
逆に、不人気だったのは商人。「三井」や「松坂屋」、「白木屋」のような豪商は大名より圧倒的にお金持ちでした。ただ同時に、商売で稼ぐことに抵抗を感じる人も多かったみたいです。うらやましい気持ち半分、やっかみ半分。そんな感じだったかもしれませんね。ほら、今でもYouTuberとかベンチャー企業の社長とか、新しい手法で稼ぐ人を嫌う人もいるじゃないですか。きっと、それと同じ感覚でしょう。
このほか、不人気な職業の代表例は駕籠屋ですかね。今で言うとタクシー運転手でしょうか。ただ、これは職業がどうのこうのではありません。悪いことをする奴が多かったから、嫌われていたみたいです。
このように、人気の高い・低いはありました。でも同時に、職業そのものにランクはないよ、というイズムが誕生し、それが数百年経った現代にも残っています。ということは、これは事実もしくは理想なんでしょう。そうじゃなきゃ、残りません。
職業にランクはない!でも、職業内にランクはある!
ぼく自身、職業にランクはないと思っています。希望的観測も含めて、そう思っています。
だからね。政治家がAランクで、ライターがZランクとか。そういうのはありません。でもね。職業の中にランクは存在するんですよ。政治家にも素晴らしい一流の方と、今すぐ辞めてほしい人が三流がいるように。ライターにも、多くの人の心を打つSランクの物書きと、ぼくのようなZ戦士がいるように、ね。
これは、本人の資質と努力によるところが大きいでしょう。だから、○○な仕事に就きたいと思うのも大事。だけど、就いたあとの努力もやっぱり大事なんです。俺はここで△△を成し遂げてやる! そういう思いも必要なんです。
スペシャリストとジェネラリスト。どっちが好き?
ところで。ぼくが大学生のころ、先生は「これからはスペシャリストの時代だ!」と言っていました。そして、ジェネラリストは器用貧乏扱いされました。ぼく自身はどちらかというと後者だったので、「損なタイミングだなあ」と思ったものです。
これ、今はどうなんでしょう? なんとなく、総合的になんでもできる人が好まれるような気もします。YouTuberとか、撮影も編集も出演も、全部自分でやったりするじゃないですか。
でも同時に、職業の細分化も進んでいますよね。一体、どっちなんでしょうね。
ライターの世界も同じです。昔はおおざっぱに作家と呼んでいた気がします。でもいつの間にか、小説家、劇作家、詩人、歌人、随筆家、コラムニスト、エッセイスト、そしてライター……。これこそ、細分化って感じですね。
ライターではない人からどう見えるかは、ぼくにはわかりません。ただ、ぼくから見るとどれもハイレベルな、そして専門的な技術が必要です。
だから、どれだけ細分化されてもランクの高低は感じません。
ただ、ぼくはあることに気づいたんです。それは、その職業を極めると違う名前で呼ばれるようになる。そして、それだけはランク自体が高い、いわば上級職なんだ、と。
ライターの究極系!まさに上級職の“文学者”!
ライターでいうところの上級職。それはきっと「文学者」だと思います。
本来、この言葉は小説や文学を書く作家ではなく、「文学の研究者」という意味。でも、作家としても政治家としても有名だった石原慎太郎氏が亡くなった際、メディアが「文学者」と紹介していたんですよ。
そのとき、ぼくははじめて「職業に貴賤はないけど、ごく一部、例外がある」と気づいたのです。
ぼくの知る限り、石原慎太郎氏は優れた作家であって、文学の論文を学会に発表するような「研究者」ではないんですよ。それでも、メディアによる肩書は「文学者」。
このとき、思いました。作家を極めると、文学者と呼ばれるんだ。自称ではなく、他人が勝手にそう呼ぶようになるんだ、と。
石原慎太郎氏が教えてくれたこと
石原慎太郎氏の遺作『死への道程』が収録された単行本「絶筆」。この本の「あとがき」に、慎太郎氏が四男の延啓(のぶひろ)氏と文学論を交わした様子が書かれています。そしてそこに登場する文学論は、文学の高等教育を受けていないぼくには理解できないほど、ハイレベルなものでした。
死が目前に迫った病床で、作家ではない延啓氏(本業は画家、美術家)を相手に、シレっとハイレベルな文学論を交わせてしまう。すごくカッコいい。そして、すごくうらやましい。
いや、わかってますよ。石原慎太郎氏は芥川賞をはじめ多くの賞を受賞した、当代一流の作家。対して、ぼくはライターの中でもしがないZ戦士。比べるだけでも、失礼な話です。
そして、そこには誰の目にもハッキリと見える“ランクの差”があります。同時にそれは、石原慎太郎氏と“ぼく”の差なんです。作家とライターの差ではありません。
でもね。メディアが石原慎太郎氏に与えた「文学者」と、職業としての「ライター」「作家」には、ランクの差も存在するような気がするんですよね。
ぼくもいつかは……!と思い続けることが大事!
いかがでしょう。職業に貴賤なし。ただし例外あり。ごく一部、その職業を極めた人だけが名乗れる、いや名付けられる、特別なものもある。
そして。せっかく働くなら、そこをめざしてほしい。おじさんはそう思うわけです。叶わなくてもいいんです。めざし続ける限り、その仕事に飽きることはないし、何歳になっても成長できるでしょう。そして、それがいちばん大事なことなんだ。そう思うんです。
もちろん、ぼくもまだあきらめてません。あと何年かかってでも、いつか自分のことを“Z戦士”なんて自虐せず、「俺はライターだ」と言えるようになりたいと思っています。幸い、ライターは60歳、70歳になっても続けられる仕事ですしね。
何年経っても飽きない。何年経っても成長したいと思える。皆さんもそんな仕事を、ぜひ『ジョブリット』で見つけてくださいね♪
\学歴・経験不問の求人は/ \『ジョブリット』で検索/ |
ジョブリットは未経験・学歴不問の求人情報を集めた求人サイトです。ドライバー職、営業職、ライン作業、建築作業員、フォークリ…