これを読んでくださっている“あなた”。こんな言葉をご存じでしょうか?
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」
それなりに有名な言葉なので「どこかで聞いたことがあるような…?」という方も多いかもしれません。
また、知らない方から見ても、なんとなく名言っぽい響きを持ったいい言葉だと感じるのではないでしょうか。
そこで今回は令和の愚者こと“ぼく”が、この言葉からちょっと思ったことをコラムにしたいと思います。
経験から学んじゃいけないの?
以前、「無能な働き者と有能な怠け者」のコラムを書いたとき、事前にまったく調べることなく書き始めて後悔したので、今回はちょっとだけ調べてあります。
だから、すでにいろいろ書きたいことはあるんですが、まずは言葉自体の解説からしておきましょう。
なんとなく聞いたことだけあるあなた、この言葉は誰の言葉だと思いますか?
プロイセン(現ドイツ)の「鉄血宰相」ビスマルク!
はい。特に引っ張る必要を感じなかったので、タイトルでネタバレです。
この言葉はプロイセン王国の首相経験者であり、ドイツ統一を果たして初代宰相に就任したオットー・フォン・ビスマルクさんが言ったものだとされています。
ちなみにビスマルクさんは分裂状態だったドイツの統一をめざす際、「現在の問題は言論や多数決ではなく、鉄(武器)と血(兵士)によってのみ解決できる」と語ったことから“鉄血宰相”という異名も持っています。この呼び方も歴史好きにはかなり有名でしょう。
ちょっと余談ですがこの言葉、現代の価値観で読むとやべー奴と思われるかもしれません。でもね、当時のドイツはそういう状況だったんでしょう。
過去の人を現代の価値観で批判するのはずるい(褒めるのはOK)と思うので、そこは「大変な時代だったんだな」と考えるべきです。
どういう意味?
そんな彼が語ったとされる「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉。愚者、賢者という響きからちょっと過激に感じますが、本意としては凡人と偉人くらいの差を想定していたものと思われます。
つまり、凡人は経験=自分が体験しないと良し悪しが判断できない。
反対に偉人は歴史を勉強して、行動に移す前から「○○をしたらどうなる?」を予想してから行動する。
こう言いたいのだとするならば、少なくとも“当時としては”正しい考え方なんじゃないかと感じる方が多いのでは。だって、ビスマルクさんが生きていた時代は今より圧倒的に「死」が身近にあったはずですから。
たった一度の失敗で取返しがつかなくなる。そんなことも、今よりたくさんあったんでしょうね。
まあ、もし本当に本人が言ったならば、という話なんですけど。
今回も確実な根拠はなし
先ほどから「言ったと“される”」などの表現を使っていたので、気づいていた方もいるかもしれません。
この言葉、本当にビスマルクさんが言ったかどうかは分からないんですよ。
Wikipedia先生のビスマルクさんのページには、こんな風に書かれています。
・「賢者は歴史から学び愚者は経験からしか学ばない」と語ったといわれており、竹下登はその言葉を座右の銘にしていた。
・ただし、この言葉についてビスマルク自身が残した記録は知られておらず、さらにビスマルクが語ったとされる言葉が文献に登場した初期の内容、その後にドイツ語や英語で広まった表現、現在日本語で翻訳されているもの、それらは互いに異なるものである。その時々の訳者や引用者の解釈が影響を与えながら社会的に作り上げられてきた可能性がある。
前に紹介した「無能な働き者」は完全なデマ、都市伝説という扱いでしたが、こちらはあくまで“確認できていない”という感じなので、ちょっと温度差はあります。
でも、少なくとも「“鉄血宰相”ビスマルクの言葉」と断言することはできません。いろんなサイトがそう紹介してますけど、ちょっと不親切かつ不勉強だなあ。
ちなみに、最初に書いたとおり、ぼくは今回ここまでは事前に調査済み。そういう意味で、前のように慌てることはありませんよ。どやあ。
体験から学ぶのは悪いのか?
先ほども少し触れましたが、ビスマルクさんの時代のドイツの状況と、現代の日本・世界の状況は大きく違います。
あ、書き忘れてましたが、ビスマルクさんは1815年生まれで1898年没。日本で言うと江戸時代の後期から明治時代の後期にあたります。
そのころはまだまだそこら中で戦争が起きていたので、失敗から学ぶ余裕なんてなかったと思います。特にビスマルクさんのように高い地位にいた方だと、1つの失敗が国全体の浮沈に影響しちゃうわけですし。
だから、もし彼がこの言葉に近いことを実際に言っていたとしても、それを間違ってるなんて言えません。
ただね、現代の日本にそのまま当てはめていいかというと、ちょっと違うとも思います。
念のために書いておくと、それはビスマルクさんを否定するわけではありません。
どんどん失敗していい時代になった!
日本に限らず、現代は資本主義の世の中です。
これを無条件で「いいことだ!」と言い切ることはできませんが、1つだけ昔より明らかにいい部分があります。
それは、1つしかない“命”ではなく、稼ぎ方がいくらでもある“お金”で勝負できること。
昔は、失敗=死とまでは言わずとも、それに近いこともありました。なにもドイツや外国に限りません。当時の日本だって、今よりは絶対にそうだったはずです。
でも、今は違います。CPUの性能も上がったしAIもどんどん進化し、いくらでも事前にシミュレーションできる時代になりました。ビスマルクさんの時代より、誰でも気軽に「過去の教訓」を学べます。
そういう意味では、紹介した言葉を実践しやすい時代になりました。
ただ皮肉なことに、時代の変化が言葉の価値も変えてしまったと、ぼくは個人的に思っています。
だって、どれだけ正しくシミュレーションしたとしても、実際にやって出た結果より重いものには絶対になりませんからね。最高形が同点だもの。
「仮想」が「結果」より価値を持つのは、1つしかないものを賭ける“前”だけ。かんたんに言えば、失ったら/負けたら終わる、そんな戦いの“前”だけなんですよ。
臆病者は“仮想”から学び、勇者は“経験”から学ぶ
現代に生きるぼくやあなたも、きっと「勝ち確」じゃない勝負をしなければいけないときもあるでしょう。正直に言えば、ぼくはあまり好きじゃない勝負ですけどね。やらずに済むなら、やりません。
でもほら、そこは会社員、組織の人間ですからね。そんなときだってあります。
ただ、それで失敗しても、失うのはお金くらいなもの。あと、真っ当に生きている皆さんなら名誉や信頼、信用あたりかな。ぼくには縁のないものばかりですが。
そしてそれって、あとから挽回できるものばかりなんですよ。命までは取られないから。
それなのに、臆病者はなにかしらのツールや頭を使って、勝負前のシミュレーションに異常なほど時間をかけます。さながら「やらない言い訳」を探すかのように。
対して本当に実績を残すのは、失敗のリスクを恐れずにチャレンジできる人です。もちろん、ある程度のシミュレーションはしているでしょう。でもそこに時間を使いすぎず、できるという算段がついた時点で行動に移します。
もちろん、リスクはありますよ。でも、成功すれば実績と、そんなものはどうでもいいくらいの充実感が得られます。
だからぼくは、現代ではタイトルのような言葉が大事なのかなと思うわけです。
失敗ってそんなに怖いですか?
ここから書くことは単なるぼくの実感です。統計などの客観的なエビデンスはありません。
でも、今ってどの会社でも失敗を過剰に恐れる人が増えた気がしてるんですよね。
他のコラムを読んでくださった方ならお分かりのとおり、ぼくは失敗ばかりの人生です。だから今さら恐れることはありません。
お金はちょっと痛いですよ。でも会社員だから大きな損失を喰らうことはないですし。それにさっきも書いたけど、信用・信頼なんてもともとないんだからビクともしません。
ある意味、無敵の人なんですかね(笑)。
でもね、そんな経験を経て思うんですよ。
失敗したって大したことないなって。それよりも、得るものの方が圧倒的に大きいなって。
まとめ:失敗できるのは幸せの証!
繰り返しますが、ぼくは失敗ばかりしてきました。それって、本当に幸せな時代に生まれて、幸せな環境で勉強させてもらってたんだなってことだと思うんですよ。
もしぼくがビスマルクさんと同じ時代を生きていたら、23歳そこそこで処刑されるか餓死してたでしょうね。どんだけ運がよかったとしても、ホームレスが関の山だったと思います。
そんな奴が広くはないけど自分だけの部屋に住めて、クーラーもついてて、お風呂にも入れるんですから、現代って本当にいい時代です。
ところで。
去年の6月から半年以上にわたってこういうコラムを書き続けていますが、再確認することがすごく多いんです。
前にも書いたことがありますが、ぼく自身は後輩くん/ちゃんや過去の部下に対して、失敗を責めたことはありません。まあ、本人たちがどう受け取ったかは分からないけど、少なくとも「責める」つもりで接したことはないんです。
今回のコラムで再確認したのは、今後もこのスタンスは続けていかなきゃいけないなということ。
だってそれは、ぼくが先輩にしてもらったことですからね。
皆さん、失敗って怖いですか? もし答えがYESなら、それはあなたのせいではなく、環境のせいだと思います。
せっかく失敗が許される時代に生まれたんですから、失敗が許される環境を探してくださいね。
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