本コラムにたどり着いてしまった皆様、はじめましてorお久しぶりorいつもありがとうございます。執筆者の“魔王”です。偉くないです。強くないです。すごくないです。芋焼酎が好きです。それだけです。
さて、今回のコラムは学歴について。
昨年(2024年)の4月からコラムを書き始めて60本超。なぜかこのテーマについて真正面から書いてなかったんですよね。
真っ先に結論を書いてしまうと、ぼく自身は自分が採用する側としても採用される側としても、学歴を気にしたことはありません。人間の能力や性質とはまったく無関係だと思っています。
でも、世の中的にはそうでもないんだよな。そう感じさせられる記事や出来事に連続遭遇したこともあり、今回はこんなことを書いてみようと思います。
ないよりはまし!でも、その程度!!
今回、このコラムを書こうと思ったきっかけその1が、こちらの記事との出会いでした。
>DIAMOND online『「Fラン大学なんか進学しても意味はない」は本当か。世間で議論になる「Fラン問題」を再び考える』
「大学受験」は10代における最大のイベントです。残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上…
書き手(というかインタビュイー)は人気YouTuberのびーやま氏。動画は見たことある! という方も多いのではないでしょうか。
今回はちょっと長くなることが予想されるので、こちらの記事は勝手ながら魔王ことぼくが要約させていただきます。
記事の要約
本当にざっくりな、個人的な要約です。正確に知りたい方は本文をご覧ください!
・Fラン大学への進学は反対
・特に「なんとなく、進学」でFラン大学へ進学するとキャリアのマイナスになる
・Fラン大学は「大学レベルの教育」ができていない
・Fラン大学は学生のモチベーションも低い、主体性に欠ける
・Fラン学生がブルーカラーや地元企業の担い手になっているのは、あくまで結果論
・誰だって勉強すれば偏差値50にはなる
・ただ、Fラン大卒でも人生が終わりなんてことはない
・やっぱり最後は自分次第
うーむ、なかなか手厳しいですな。
ではこれをもとに、「学歴」について考えていきましょう。
Fラン大学ってどんな大学?
今では当たり前のように「Fラン(大学)」というワードを使いますよね。「合格レベルの低い大学」を指すというところまでは、ある程度の共通認識になっている気もします。
でも、「Fラン」の厳密な定義って、皆さんはご存じですか? 正直、ぼくは知りませんでした。
ということで、まずは定義を調べてみましょう。
【Google AIの定義】
Fラン大学とは、一般的に入学しやすい大学、または偏差値が低い大学を指す言葉です。明確な定義はありませんが、実質倍率が低い、合格率が高い、偏差値が低いといった特徴を持つ大学を指すことが多いです。出典:Google
【Wikipediaの定義】
上記の「ボーダーフリー大学(BF大学)」から派生し、低偏差値大学への呼称としてFランク大学(Fランク、Fラン)という言葉が生まれた。意味・用法
狭義では「BF大学」と同義だが、広義では、大学数の増加によって、「入学者の基礎学力が十分ではない大学」を意味し、インターネットを中心に「偏差値の低い大学」という意味でも使われる。
定義づけの話の前に、Wikipedeiaが定義する意味・用法を理解するために「ボーダーフリー大学」の説明を。
大手予備校「河合塾」の難易予想ランキング表で偏差値35未満の区分を「ボーダーフリー(略称BF)」と呼び、そのランクに該当する大学を「ボーダーフリー大学(略称BF大学)」と呼ぶのだとか。
偏差値35未満の大学っていうのは、たとえば偏差値42とか50とかといった高くなくとも数値化されている大学とは意味がまったく異なります。定員割れが見込まれる=受験すればほぼ受かる=偏差値が算出できない、ということですから。
きっと、おじさんであるぼくの時代よりも少子化が進んだ今のほうが“BF”に該当する大学は増えているでしょうし、今後ますますその傾向が強くなるはずです。
本当の“Fラン大学”は結構少ない!
さて、定義に戻ります。
本来の“Fラン大学”が「ボーダーフリー大学」を指すのだとしたら、「受験さえすれば合格するような、定員割れの大学」ということになります。
ただ、上を見ても分かるとおり、現在実際に使われる「Fラン」はもう少し幅広いんですね。今では単に合格率の高い大学、学力レベルの低い大学を指す蔑称になっています。
具体的に言えば、東京でいうところの“日東駒専”さえ「Fランだ!」という人もいるくらいですし。
結局、学歴でマウント取りたい人って一定数、いるってことなんでしょう。ぼくはそういう人を“逆・学歴コンプ”だと思っていますし、正直に言えば本当に学歴コンプレックスをもっている人なんかよりも、圧倒的に馬鹿だと思っています。
卒業から何年経っても大学名を誇ってるなんて「他にとりえがありません!」と言っているようなものだと思いませんか?
「学歴フィルター」について
心からの本音としてそういうことを思いつつも、世の中に「学歴フィルター」なんていう、ぼくから見ればアホ丸出しな工程を挟む会社が実在することも理解しています。
とはいえ現代ではそんなの、超大手に限られるとは思いますけどね。
少子化で日本全体が若年層の人手確保に困っているこの時代に、フィルターを通している余裕のある会社なんてそうそうありません。
しかもそのフィルターを通すこと自体にほぼ意味がないんだから、なおさらですよ(笑)。
じゃあ、お前はFラン卒じゃねえんだろうな?
このコラムできちんと書いたことはないと思いますが、ぼくの最終学歴は大卒です。ただ、そんなに名前の知れた学校ではありません。
ぼくが入学したころは一応“中堅私大”と呼ばれていました。予備校のランク付けだとCランクの下位かDランクの上位くらいだったと思います。
でも、今ではぎりぎりBF大学に当てはまらない程度にまで落ち込んでいるようです。もうね、完全に“(広義の)Fラン大学”ですよ。
いやあ、迷惑ですねえ。ぼくが入学した当時は偏差値60近い学部もあったのに、卒業後20年でこんなことになるとは。
ただ、それを非難する資格は、ぼくにはありません。だってぼく、インチキ入学ですから(笑)。
過去に何度か書いてますが、ぼくは高2・高3の2年間、アイルランドに留学していました。
そして、その後の大学入試に際し、その便利で揺るぎようのない“事実”を最大限に活用しました。帰国子女枠っていうインチキ枠で受験したんです。
その枠だと入学試験は小論文と面接のみ!
今こうしてライターとして生きていることからもわかるとおり、小論文とかレポートとか、あと読書感想文とか、そういうのはぼくの数少ない超得意分野。さらに面接で緊張するような繊細さとも無縁なぼくは、試験が終わった直後に「絶対に大丈夫だ!」と自信満々でした(笑)。
そんなインチキ進学者が文句言ったら、罰が当たりますよ。
それにね。
今のライターとしてのぼくの価値を測るのは学歴なんかではなく、実績や実力です。
ぼくはそういう道に進んでいるので、学歴を気にしたことも気にされたこともありません。
まあ実績も実力もないんだけど、それは別のお話。心の中で「あれ?」とツッコんだそこのお前。深く反省するように。
学歴を考えるきっかけ2
学歴について考えようと思ったもうひとつのきっかけが、後輩ライターの芽生(めい)ちゃんが面接中に発した言葉でした。
「高卒だからか、いろんな会社のライターに応募しても書類で落とされたんです……」
もうね、正直言って驚きでしたよ。
だってさ、ライターに学歴が必要だと思いますか? どう考えてもいらないでしょ(笑)。
ぼくは仮にも17年くらい文字周りの仕事をしています。先輩・後輩を問わずすれ違ってきた同僚には、大卒もいれば中卒もいました。前者でも(ぼくのような)無能がいたし、後者にも有能な人はたくさんいました。
けっして短くないキャリアの中で、学歴と実力がリンクする仕事だと思ったことはありません。
Fランの何が悪い?
狭義の「Fラン大学」の悪いところを探そうとした場合、いちばん問題なのは学生のモチベーションが低いことではないでしょうか。
どこでもいいから大学に入って、4年間のモラトリアムを満喫したい。
そんな気持ちの人が集まっているのだとすれば、それは問題かもしれません。
「朱に交われば赤くなる」、「水は低きに流れる」などの言葉があるように、人間はどうしても楽な方に適応しちゃう生き物ですから。
もちろん、どんな環境にも負けずに自分を貫ける人であれば、そんなことは関係ありませんけどね。
じゃあ逆に、大学のいいところって?
これね、ぼくも正直わからないんですよ(笑)。
いや、ぼくは大学に行ってよかったと思っています。それは一緒に勉強に励んだ友人や、人生に大きな影響を与えてくれた教授との出会いを与えてくれたから。
でもさ、それって偶然というか、結果論なんですよね。その人たちとの出会いを入学前に具体的に予想していたわけじゃないからさ。
それ以外によかったことっていうと、1つだけなんです。
「中学・高校と違って、自分の好きなジャンルの勉強だけやってればいい」
これは入学前から考えていたことであり、結果的にも楽しかったことです。
より正確に言うならば、ぼくは大学1年・2年はまったく楽しくありませんでした。必修教科ばかりで自分が受けたい授業を選べなかったんだもん。大学2年の春学期はほとんど学校に行かなかったし、そのころは本気で中退を考えていました。
でも、3年になったら必修科目もほとんど取り終えて、好きな授業ばっかり受けられるようになりました。
そこからの2年間は本当に楽しかったですね。毎日が充実していました。辞めなくてよかったと、心から思ったものです。
(楽しすぎて好きな授業ばかり取っていたら「語学」の必要単位が“2”だけ足りていないことに気づいていなくて、4年生の秋学期に大慌てで取得しました。卒業を賭けた最後のテスト、まじで不安だった笑)
ただ……これもきっと、ちょっと特殊な例だと思うんですよね。
こんな駄文ばかり書いているので信用してもらえないかな。ぼくは意外と勉強が好きなんですよ(ただし興味のある教科に限る)。
勉強が好きな人にとって大学は天国だ!
あえて結論を出すならこういうことなんですが、改めて書く必要、ないね(笑)。
まとめ:大事なのは「目標」の有無!
ぼくが言いたいことは、入学・卒業した大学の名前なんて、本当にどうでもいいんです。
いや、前にも書いたと思うけど、名のある大学をめざして実際に入った人はすごいですよ。
目標を定めて、そこに向かって努力し、合格という結果を勝ち取った。その経験はどんな仕事でも、絶対に役に立ちます。
でも、ポイントは目標の有無なわけでね。別に名のある大学かどうかは重要な問題ではありません。
たとえばアナウンサーになりたい人がいわゆる名門国立や“早慶”、“GMARCH”あたりに入るのと、そうではなくアナウンス系の専門学校に通うの。これって価値は同じだと思うんです。どちらも“目標を定めた行動”だから。
反対にめちゃくちゃ頭が良くて大して勉強しなくても東大や京大に入れる超絶天才児だとしても、なんの目標もなく大学に通っているのであれば、同じ理由でBF大学に通っている人となにも変わらないと思います。
最後に以前、こちらのコラムでも紹介した、ぼくが大好きなアイルランド出身のサッカー選手、ロイ・キーン氏の名言の“完全版”を紹介してコラムを閉じようと思います。
人間は過去ばかり見たがる。過去に浸ってなんになる?
人間は目標を少しづつ高くすることが大切なんだ。満足したいのなら少しでも目標を下げたらいい。そしたら満足できるだろう。
しかし満足したからって、どうなるっていうんだ。
他人がどう思うかなんて気にしていられないよ。明日、俺は死んでいるかもしれないんだから。
今、できることを精一杯やるんだ。満足なんてなんの役にも立たない。
俺にできることは、いつもベストを尽くすことだけさ。
どの大学に行こうが、大学に行かなかろうが。就職した会社がどこであろうが、そこで勤め上げようが、何度も転職を繰り返そうが。
生きている限り“今”は“途中”だし、その過程が理想的かどうか、途中経過で評価を受けたかどうかに関わらず未来に向かって進み続けるべきです。
そう考えれば、大学の名前やランクなんて取るに足らない小さなことではないでしょうか。
P.S.
書き始める前の予想より圧倒的に“いい話”になって困ってます。照れてます。次はもっとボケてもっとふざけたコラムにしようと思います。
P.S.のP.S.
このコラム、実は相当数、読み直しては書き直してます。全然“かきあたりばったり”ではなくなってしまいました。意図せずともタイトル詐欺をしたこと、深くお詫びいたします。
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